Friday 19 June 2009

職業に貴賎なし、にまつわる考察(追伸)

前回の記事で、まるで金融で働く人が、
不当に高いお給料をもらっているような
印象を与えてしまったかもしれませんが、


補足させていただくと、


会社で働いている個人個人は、熱心で、ユーモアがあり、
知的な方が多いです。自己研鑽を惜しみませんし、
面倒見も良い方が多く、私は大変お世話になりました。


働いている方々は、各々のベストを尽くして業務に
励んでおり、誠実に仕事と向き合い、個人レベルでは
お給料に見合うような心がけ、勉強、大変な努力をなさっていると感じます。


またここで、根幹に関わる話に戻ってしまうのですが、


金融で働く方、ではなく、金融の仕組み、
金融システムが意図するところ、が
一部の人を大金持ちにするかもしれないけれど、
地道に汗水流して働いている一般の方々にとってどうなのか、
というところを伝えたかったのです。


例えば、株取引=高等ギャンブル
と個人的には思っています。


新聞や雑誌、ネット、本から情報を収集し、勉強すれば
ある程度予測もでき、堅実な利益を上げることも
可能である、という点では異なりますが。


企業は、人々に幸せを与える対価として、利益を
あげてほしいと願うのです。


利益の意味が、他人からだまし取る、搾取する、ではなく、
本来の、相手のためになることをした結果の対価、に戻ってほしいのです。


金融で働く方々、個々人としての能力は平均して
高いものがあります(私は違いましたが)。
この能力を、もっと、違う方面で発揮できていれば、
世の中劇的に良くなるのにな、と思うのですが。


金融の仕組みを操る人たちは、
まるで、自分たちの意図することを巧妙に隠すために、
これらの優秀で、人当たりも良く、そして命令に
を忠実に、的確にこなす人たちを隠れ蓑にしているような、
気がしています。


私が働いていた頃、退職間近の元トップ営業マン
の方が隣に座っておりましたが、この方、
耳がよく聞こえなくなっておられました。


今は法が整備されてきたので、そうでも
ないでしょうが、昔の営業の方々は、
会社が推奨する、顧客に損を出すかもしれない
銘柄や商品を薦めざるを得ない状況も
多々あったと思います。


顧客をだましているような心苦しさと葛藤したり、
そして、損を出してしまった時、顧客にどんな
顔をしてあやまればいいのか、という気苦労を
長年負い続けてきたストレスは、言葉では
言い表せないかもしれません。
(私の元上司は、営業マン時代に、裁判所に
被告として何回か立ったと話していました)


耳が聞こえなくなったのは、そのストレスも
あるのかもしれません。






以前、ユダヤ系スペイン人の方が話してくれたのですが、
(私、人生でユダヤ人との遭遇率が高いです)


ユダヤ人の仕事に関する教えとして、


自分の手は汚さない。


製造業には従事しない、
工場での生産とか、農作物を作るとか、
物を作る仕事は他の人にやらせる。


ものが流通する間に入り、そこから
収入の糧を得る、


そうです。


同じお金持ちでも、ユダヤ人のお金持ちのマダムに
マニキュアをされている方が多いのは、自分の手は汚さない、
マニキュアが剥げるような仕事には従事しない、
ということの暗喩かもしれません。


例えば、卸問屋であれば、あるものを決まった値段で
仕入れたら、ある程度自分の好きなように値段を付けて
市場で売ることができます。


関税なんかも、その考え方のひとつかもしれません。


しかし、これ、昔日本でもあった関所と同じで、
勝手にシステムを作り上げて正当化していますが、
何か労働をした対価としてお金を受け取っているわけではないので、
やり方は違いますが、やっていることは、山賊と変わりないのです。


自分達を通さなければ、ビジネスが成り立たないような
システムを一度確立してしまえば、
自分たちは決して飢えることはありません。


ものを生産する側、ものを購入する側、
双方に対して、ある程度の操作が可能なのです。


自分たちは直接的に労働には従事せず、
またまた言葉が悪いのですが、
寄生虫のように、他者の労働から
利益を得ているのです。


ユダヤ人の専売特許である金融業も、
もとは貸金業から発展していますが、
ものすごく単純化して言ってしまえば、
自分たちは、何の労働も強いられないのです。
お金を貸し、それが利子で増えて帰ってくるのを
待っていればよいのです。


銀行業も、金を右から左に流し、その度に、
お金を徴収しているだけなので、
ネコババと変わりないのです。


ただ、また補足をしなければならないのですが、
ユダヤ人を一方的に非難しているわけではないのです。


彼らも迫害の歴史を生きてきました。


ちなみに、このスペイン人の方は
名前をレブリダさんと言いました、


レ、は英語の「Re」と同じで、「再」の意味ですよね。
ブリダ、はスペイン語で茹でる、英語のBoilの意味です。


つまり、この方の先祖は、「二回茹でられた」
と言っているのです。


ご先祖様が、歴史の中で、迫害により、二度も熱湯で茹でられる
という拷問を受けたことを物語っているのです。


私は、この名前の由来を聞いて、心が痛みました。
書いている今も、思い出してとても悲しくなります。


それに、以前にも書きましたが、ユダヤ人は、日本人に
対して好意を持たれている方が多いのです。


なので、いちがいに非難するわけにもいかないのです。


この方、その他にも、


「日本人は(私も含め)、会社の奴隷だ。
私は絶対奴隷にはならない」


とおっしゃっていました。


ユダヤ人の、エジプトで奴隷として働かされた歴史が、
そのような奴隷となることへの嫌悪、また奴隷のように
働く人への蔑視へつながっているのかもしれません。


ユダヤ人の職業として多い、金融、法律関係、
メディアなどの業界は、このような分野を
牛耳っておけば、自分たちの思うように
社会をコントロールできるという思惑あってのことかと
思いますが、


ユダヤ人がそのような方法を取っているのも、
歴史の中で受けてきた迫害を再び受けないため、
自分たちの身を守るための知恵なのかも
しれないのです。


こういったことは、私個人ではどうすることもできない、
歴史の傷痕、膿を見ているようで、切なくなります。


当初、こんなことを書くつもりは全くなかったのですが、
とてもシリアスな話でごめんなさい。


もうちょっと続きますね。


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