Wednesday 17 June 2009

職業に貴賎なし、にまつわる考察

先ほどまで、Plummer(修理工)がおり、
フューズがとんで電源が入らなくなっていた
食器洗い機を修理してくれていました。


今まで、何度となく、いろんな修理工の方々に
お世話になっていますが、今日ちょっと
驚いたのが、彼がケンブリッジ大学で修士を
修めた超インテリ 学校 であったこと。


確かに、彼の英語は、今まで来ていた修理工さん
達と、違いました。


早口でくせのある話し方ではなく、
適度なスピードで、はっきりと話すのです。
分かりやすい!!


階級社会イギリスでは、階級によって、話す英語
そして発音が異なります。今でもたぶんそうです。


私、こちらに住みはじめてから、英語が英語に聞こえない
という経験を何度もしています。移民の方たちだけではなく、
生粋イギリス人でも、たまにコックニー訛りとかあると、
何を言ってるか分からない時があります。


久々のきちんとした英語を聞いて、ちょっとうれしくなっちゃいました。

イギリスで主婦として生活する私の場合、上流階級の英語を
聞くことは日常生活では、まずありません。


お買物でショップ店員やレジ係の人と話したり、
今日みたいに修理工の人と話したり、
あと私の場合は病院通いが多いので、そこの
ドクターや看護婦さんたち。


これらの方たちは、半数が移民です。
そして、あとは労働者階級、中産階級の方たち。


ん?私、なんか話がそれてますね?
なんでこんな話してるの??


そうそう、で、今日の修理工さん、
インテリさんなのに、どうして高給でもない
仕事をわざわざ選んでしてるのかなー、
と不思議だったのですが、以前は世界を
飛び回って仕事をしていたらしいのです。
が、あまりに激務で仕事がはっきり言って嫌いだった
とのこと。で、リタイアをして、自分の好きなことを
仕事にしようと思ったそうです。


そして選んだのが修理工。
きっと、子供の頃から、ちょっとした
家電やステレオなんかの故障は
ちゃちゃっと自分で直しちゃうタイプだったんでしょうね。
見栄や体裁を気にせず、好きなことを選べちゃう潔さ、
素敵だな、と思います。


職業に貴賎はありませんものね。


でも、奥様は、法律専攻で博士課程を修めており、
バリバリの弁護士さんだそうですので、
そのおかげで生活のことは気にせず好きなことが
できるのかもしれませんね
(教訓:持つべきは有能で稼げる妻である←違う)。


日本に旅行に行ったことを話してくれたり、
携帯に保存している孫の写真をうれしそうに
見せてくれたり、ほんとに気取りのない人でした。


職業といえば、気になるのが、掃除をされる方々。
特に、お手洗いを掃除される方々。


清掃業は、ヨーロッパでは(日本でもおそらく)、
最も低賃金とされ、そしておよそ敬意を払われる
ことが最も少ない職業のひとつ。


私はそれが腑に落ちません。
私は、一生懸命掃除に精を出している人を見ると、
さらに、その人が心を込めて磨いていたりすると、
感謝はもちろんのこと、愛おしく(変態?) チョコ
さえ感じるのです。


お手洗いは、日本で昔は「ご不浄」と呼ばれていたと
思いますが、「不浄」の場を「清浄」にしようと
してくれている人たちなのです。


職業に貴賎があるならば、


この人たちこそ


「貴」の職業と呼びたいのですが、


ダメですか?(←誰に聞いてるの?)


お手洗いを掃除をされる方=哲学的
という説もあるのですよ(私が勝手に作った)。


お手洗いでの振舞いは、その人の本性が出てしまいます。


例えば、手を洗う時に、周囲に水を飛び散らし、
水浸しにして出て行ってしまうのか?


それとも、次の人が気持よく使えるように、
水しぶきは、手を拭いたタオル(一部のホテルなどで備え付けが
ある場合)、またはペーパータオルで拭き取って出るのか。


そういえば、新入社員として会社に入ったとき、先輩社員と
お手洗いで一緒になった時、彼女が手を洗った後は
必ずきれいにして出ている姿を見て、無条件に尊敬の念を
抱いたのを思い出しました。(ついでに、定時ごろになると
お掃除にやってくる方たちに、いつも「ありがとうございます」
とか「ご苦労様です」と先輩が声をかけているのも、見習って
真似していました)


そういったものを日々見続けている掃除夫は、
嫌でも人間について哲学的にならざるを得ないと
思うのです。


ロンドンに来るまで、日本では金融業界に
いたのですが、


何やら金融工学などをこねくり回し、
実体のない架空の取引をしてみたり、


素人には(私も含む)到底理解できないような
難しい金融商品を作って売りつけてみたり、


年金を頼りに暮らしているおじいちゃん、おばあちゃん
の大切なお金を、投資と称し巻き上げてしまったり
(これは、適正投資の観点から、現在はなくなりつつ
あるようですが)


そんな、一般の人たちの幸福度に貢献しているか
という観点からはとても疑問な業界に
いる人たちが、なぜそんなに高給取りなのか。


とても不思議でした。


でも、私もその恩恵にあずかって、
不自由ない暮らしをさせてもらいました。


広尾のマンションに住み、
好きな服を買い、
流行りのレストランへ行き、
おいしいワインを飲み、
タクシーは乗り放題
・・・・・・


ストレスにさらされて、一生懸命働いていたとはいえ、
今思うと、少々罪悪感を感じます。


世の中の価値基準って、ちょっと
おかしいのかもしれません。


今、私は無理に働かなくても生きていける
ありがたい身の上なので(ありがとう、サリーちゃん)、
今後、何かやるときは、金融業界に
戻るのではなく、世の中の価値観、基準
といったものの歪みをとって、バランスの
とれたものにできないか、考えていきたいと
思うのです。


会社でも、もっと小さい単位だと、家族でも、
理念(競争型で行くのか、共栄型で行くのか、とか)
ルールといった根幹の部分を誤ったものに
設定してしまうと、いくら一生懸命頑張っても、
会社であれば成長や繁栄、家族であれば
幸福から離れてしまうものです。


もっと大きなところで国だと、
民主主義、社会主義どちらを選択するかで、
全く違う国になってしまいますよね。


方向づけ、大切です。


だからと言って、何をしたいか、
どんなことができるのか、
全く分からないのですけどね・・・
(ひよっこなわたくし ヒヨコ


サリーちゃんがいなくなって、
テレビもなく、静かなので、
普段は考えないようなことを
考えたり、してみたのでした。


最後に、昨日日本大使館に行った時に、
近くにあったホテルの外壁。




無国籍、多国籍?な日々






壁から草、生えてるよ?


眠れる森の美女 おとめ座 のお城の現代バージョン?


では、皆さま、おやすみなさいませ。星空


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