Wednesday 2 September 2009

友達100人できるかな

サリーちゃんがかつて結婚前に
言っていたこと。


「ぼく、友達あまりいないんだ」


その時は、「ふーん」
と特に気にとめませんでした。


なぜなら、私も友達は少ないと
思うし、知り合いは別として、
友達は生涯2,3人いれば十分だ、
と考えていた方なので(非社交的か?)。


ところが、ロンドンで会社を解雇
になり、オーストラリアへ戻ると
意外な事実が明るみに。


サリーちゃんの元同僚の一人の
ポーランド人マレックさんが、
ある会社でマネージャー職を
やっているのですが、失業の話を聞くと、
すぐさまサリーちゃんを他の同僚に
推薦し、そのままサリーちゃんは
めでたく就職の運びへ。祝 キャハハ


他の元同僚、オランダ系オーストラリア人の
ボブさんも、サリーちゃんを
会社のコンサルタントとして雇おうと
尽力してくれたり、
(ボブさんは、サリーちゃんが解雇された
会社の人なので、それがいかに難しいか、
素人の私でも容易に想像がつきますが・・・)


かつて大学でサリーちゃんと一緒に
勉強した仲間である、ソフトウェア会社で
管理職にある女性も、サリーちゃんをどうにか
会社に雇えないか検討してくれていました。
(後日談:この会社に就職こそしなかった
ものの、この会社とは、サリーちゃんが作成した
ソフトウェアを使ってプロジェクトが進行して
おります)


友達いないんだ発言からは、想像できない
友人たちの温かい励ましや誠意に、
私は涙が出そうになりました。キラ
困った時に助けようとしてくれる人がいるのは、
ほんとうにありがたいものです。


ロンドン滞在時に、友達いないんだ発言の
裏話を話してくれたのですが、サリーちゃんは
フランス留学中に彼女ができたそうです。
その彼女とは真剣な付き合いをし、
アメリカ、オーストラリアでも一緒に
同棲していました


彼女と会うまでのサリーちゃんは、とても社交的で、
友達を家へ呼んだり、一緒に遊びに行ったりと
友好関係はすこぶる良好だったようです。


その彼女は、独占欲のためか、サリーちゃんの
友人たちとうまが合わなかったか、サリーちゃんが
友人を家へ呼ぶと、とても嫌がり、彼らが帰ると、
泣き出していたそうです。


彼女を不憫に思ったサリーちゃんは、友達との
付き合いを、一人、二人と止めていったそうです。
なので、フランス留学中のクラスメートとは
友人関係を作らず、アメリカ留学でお世話になった
ホストファミリーも、それまでは訪ねたり、カードを
書いたりしていたそうですが、それもすっぱり
やめてしまったそうです。
(その話を聞いて、結婚報告のクリスマスカードを
出したらどうかと言って、去年出してみたのですが、
返信はありませんでした。もう連絡をたってから
6、7年たっていたので、住所が変わってしまった
のかもしれませんし、心証を悪くしてしまったの
かもしれません)


その他旧友や職場の友達とは、メールでの
連絡だけにとどめていたそうです。


けっきょくその彼女はサリーちゃんに別れを
切り出し、別れてしまったのですが、
彼女からの影響がよほど大きかったのか、
女性は彼女とみんな同じ考えだと思ってしまったのか、
私と結婚してからも、サリーちゃんは極力
職場の同僚とのアフター5の付き合いを避け、
まっすぐに家へ帰ってきていました。
週末も、他人を交えず、二人きりで過ごそうと
しているように見えました。


私的には、同僚と仕事帰りにワイワイやって
帰るのは、仕事関係もスムーズになるだろうし、
ストレス発散になって、むしろ良いと思うし、
週末も、同僚からのゴルフやサッカーの誘いを
受けても別に怒らないのになあ。


そういった思いをサリーちゃんに伝えたところ、
彼女との昔話を話してくれたのです。


サリーちゃんが好きになった人であり、
かつサリーちゃんは彼女を他の誰よりも
優先して考えていたほど愛していたので
しょうから、きっととてもすてきな女性だったのでしょう。


が、私は彼女の考え方とは、違います。


サリーちゃんには、友人関係を大切にする、
元の社交的な態度に戻ってほしいのが
正直な気持ちです。


友人と遊びに行ったり、電話で話したりしても、
私は嫌がるどころか嬉しいのだ、ということを、
ロンドン滞在中に何度となく言い、
クリスマス クリスマスツリー など、チャンスがあろうものなら、
連絡をとっていなかった友人たちにカード 手紙 を
書くよう(というか、私が代筆した)、サリーちゃんの
友人関係がすこしでも昔のように戻るよう、
願っていました。


ちなみに、彼女と別れた時のサリーちゃんの
落ち込みようは尋常ではなかったようです。
そういう時に話を聞いてくれたり、支えてくれる
友人がいれば、少しは違っただろうなと思うのです。


私と仲違いした時に見せる異常な狼狽ぶりも、
話を聞いて、笑い飛ばしてくれるような友人がいれば、
反応が違ってくるかもしれないと思うのです。


で、今回、解雇を転機にオーストラリアに戻って
来てから、友人関係の蕾がようやく膨らんできました。


毎日のように、友人たちから電話がかかってきます。
そのうちの何人かとはすでに一緒にランチやドライブに
行きました(オーストラリア訛りのの英語は耳慣れない
私にはまだきついけど!)。
今週も、友人宅へお呼ばれ予定です。


私たち夫婦も、家具が届いたら、彼らを家のバーベキュー
に招待するつもりです(バーベキューセット買わなきゃ・・・)。


結婚前のサリーちゃんと、最近のサリーちゃんは、
顔つきまで変わってきました。笑顔が増えました。


今回の就職でも判明したように、友人は宝です。
歳を経るにしたがって、その重みは増していくのでは
ないかと思うのです。


そういえば、今回いろんな人に転職助け船を
してもらって感激したサリーちゃんは、かつて
大学の研究所で一緒に働いていた中国人の
シューシンさんが、大学から契約解除を受けて
路頭に迷いそうだったので(お歳が50を超え、
英語が思いっきり訛っているため、
厳しい状況のようでした)、とびっきりの推薦状を
書いて送ってあげていました。
けっきょく、その後間もなく、シューシンさんは、
コンサルティング会社に転職できたそうです。
助け船の善連鎖です、よかったよかった。


また別の話ですが、サリーちゃんは、同じトルコ
からの政府派遣留学生仲間のエアカンさんが、
トルコの大学に戻ったけど、やっぱり海外に出たい、
というので、オーストラリアで会社を紹介してあげていました。
その後、彼は大学講師に転身しましたが、
その後もアカデミックの世界でキャリアが上がるように、
サリーちゃんは彼と一緒に共同論文を何度となく書き、
彼は、去年、めでたくオーストラリアの大学
(カーティン工科大学だったかな?)
で学部長になりました!お互いトルコ語で
気兼ねなく話せるのがうれしいのか、毎日のように
電話してくるのですが、午前中などに今から授業なんだー
などと電話がかかってくると、大学の講義、ちゃんと
やってるのかな・・・とちょっと心配になりますが。


また、サリーちゃんが大学の研究所にいた頃、
アリヤさんという留学生が博士課程論文を書くときの
アドバイザーをしていたそうですが(ちなみに、
前回の記事に出てきたギリシャ人のルソスさんが、
当時のゼミ担当だったそうです)、彼女の就職活動時
にも、褒めまくりの推薦状を書いてあげ、彼女は
サリーちゃんと同じ会社に採用になりました。
サリーちゃんはあえなく解雇となりましたが(痛!)、
彼女は今でもその会社で働いています
(こないだ一緒にドライブに行きました。
博士とは思えない、とても気さくな明るい女性でした♪)


今回この話を書きながら思ったのは、
付き合う女性の男性への影響というのは、
私が思ったよりも大きいものなのですね。


これからは、私の影響で友達100人に!クラッカー
(その前に、私のオーストラリア英語の
聞き取りをどうにかせねば! ムンクの叫び


徒然と取りとめもなく書いてしまいました。
今回は、サリーちゃんの友達100人できるかな、
をテーマにお送りしました。


現在、普通に生活できておりますが、これも、
サリーちゃんの友人が助けてくれたおかげです。
ほんとに、頭があがりません、です。毎日しみじみ
感謝しております。


読んでくれた皆さまにも、感謝、感謝です。


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