Sunday 13 September 2009

神様が降りたくなる場所(続き2)

さて、続きです。


ここで、唐突に話は変わりますが、
私、子供の頃、祖父母の家に週末
泊まりに行ったりしておりました。


祖父母宅はお寺であったので、
そこの生活を目の当たりに見ることが
できました。


私と同じ年ごろのいとこたちは、
朝6時に起きだし、お寺と母屋
(住むところは別になっております)
の廊下をくまなく雑巾がけします。
雨が降ろうが 雨、雪が降ろうが 雪
学校 学校 があろうが、何だろうが、
毎日の日課です。


お客様待遇である私は、しなくても
よかったので、はた目から、
「大変だなあ ジャックラッセルテリア
と子供心に思っておりました。


その後、朝のお勤め、これは
お寺の本堂に参って、お経を
あげることなのですが、
これは私も参加しなければ
いけませんでした。


お数珠をもたされ、お参りするのですが、
恥ずかしいことに、私、
お経を一切覚えておりません。


暗記して、経本を見なくてもすらすら
お経を読み上げるいとこたちを尻目に、
私は、必死で該当する箇所のページを
探し、探し当てたはいいけど、間合いや
微妙なイントネーションに付いていけず、
金魚もびっくりな見事な口パクで、
いつも乗り切っておりました。


そうしてやっと朝食 割り箸 となるのです。
(その前に、いとこたちは乾布摩擦
までやっていました。ほんとうに
ご苦労なことです)


いとこたち、また、さかのぼれば
私の母もずっとやってきた、
毎朝の雑巾がけのおかげで、お寺も、
母屋も、廊下はいつもピカピカでした。


大人になって考えると、掃き清め、
きれいに磨き上げるという行為は、
神様(お寺だと観音様?)への敬意
なのだろうなあ、と思うようになりました。
人間でもそうであるように、神様だってきれいな所
が好きなはず!


掃除は、穢れを払うという行為にも通じるはず
だから、きれいにすることで、場が神聖に
なり、ますます神様にふさわしい場所に!


ちなみに、私は、無宗教です。
親から強制されたことはありませんし、
(それどころか、幼稚園も大学も
クリスチャン系であった、超いい加減な親)
どんな宗教的勧誘も、興味がありませんでした。


夫のサリーちゃんも、トルコというイスラム圏の
生まれですが、宗教にはまったく関心が
ありません。


子供がもし生まれたとしても、無宗教
でいきたいと考えています。
宗教などの拠り所がなくても生きていけるよう、
強く育てたいのです。


神の名を大義名分に殺人行為を行う宗教などは
言語道断だと思っています。殺戮を好むような
神がどこにいるのでしょうか?
それでは神のモラルは人間以下で、本末転倒です。
口ではどんな良いことを言っていても、そのような
殺人集団に、子供を入れる気はないのです。


あら、なんか熱くなっちゃいました。
ここでいったん冷却期間を。
なかなか結論にたどり着かなくて
ごめんなさいです。


いつも話の寄り道が多すぎるのですよね
(反省 硬派)。


また次回ー。


の前に、道端で咲いてたお花の
写真を。




無国籍、多国籍?な日々

老木とのコントラストが微妙ではありますが・・・。


オーストラリアは、もう春 チューリップ黄チューリップ赤 です(季節が逆!)


皆さまにも、春の空気 クローバー を分けてあげたい。
(ほんとうは日本で食欲 おにぎり の秋がしたい私)


では、おやすみなさいませ。


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