Friday 30 December 2011

来年の抱負

最近思うこと。

「物事のエッセンスや本質を見極められる

 ようになりたい」

日本を出てから、イギリス、オーストラリアと

まだ短い期間ですが暮らしてみると、

日本でしか通用しない常識、またイギリス、

オーストラリア限定の考え方や習慣、などが

あるということに気づきます。

そうすると、1国でしか通用しない流行や

ブーム(韓流とか)、受け売りは、どうでもいいなあ、

と思ってしまうのです。

日本にいた時は、広告代理店や

各業界が作りだすトレンドなどをチェック

したり、それを追ったりするのも、楽しかったり

したのです。

しかし、まずファッションから気付きました。

日本の微に入り細にいったファッションは、

イギリスでは同じように着こなせていましたが、

Tシャツ短パンファッションがいまだに主流の

オーストラリア(パース)では

「大統領にでも面会しに行くの?」
(↑ 実際夫サリーちゃんに何度となく言われた)

と言われるほど浮いてしまう。

日本では女性はスリムな方が美しいというのが

一応デフォルトになっていますが、こちらに

来てみると、カバや象のような体格の女性も

それはそれは堂々として、自分はセクシーなのだ

と思っている節がある。

オーストラリアでかっこいいと思われている男性は、

どうにも頭の足りないマフィアのちんぴらにしか見えない。
(オーストラリアに来てから、外見、内面
 トータルでかっこいいなあ、と思う男性には、
 いまだお目にかかったことがございません。
 失礼なこと言ってるのは分かっているのですが)

日本では当たり前にしているリサイクルごみの分別も、

イギリス、オーストラリアではごちゃまぜ。

日本は謙遜の国、オーストラリアはどちらかというと

自画自賛の国。

あ、なんだか、オーストラリアの愚痴

オンパレードになってきた。

政治的な見方も、各国で偏っているものです。

オーストラリアはどちらかというと、中国韓国

寄りのアンチ日本的な見方の報道が多い・・・(悲)

つい2日前も、日本が所蔵していた朝鮮王室儀軌、

王室の礼儀作法やしきたりを書いた書物など(正確には

書物の写本を日本の宮内庁が保管していた

訳ですが。オリジナルはフランスが持っている、

または韓国自身が紛失)

を返還した、というニュースがオーストラリアで流れて

おりましたが、ニュースでは「Return(返還)」という言葉を

使っていました。

このニュアンスでは、日本が韓国を植民地統治

していた時に、無理やり奪ったものを、戦後何十年

もたって、やっと返した、という意味にとられてしまいます。

細かいことにこだわる、と思われてしまうかも

しれませんが、こういう言葉の選択にも、とても

敏感になってしまします。

オリジナルを奪ったわけでもなく、コピーを保管して

あげていたものを譲った、「善意の譲渡」のはずなのです。

書物がコピーであるとこの言及もなし、オリジナルは

韓国自身が紛失してしまったことの言及もなし、

ただ日本が奪ったものが韓国に返還された、

というニュースだけでは、事実とは異なります。

私はどこの国にいても日本人なので、日本を意図的に

悪く報道操作するメディアには我慢なりません。

日本にも悪いところはあるでしょうから、別に

悪いニュースがあってもいいのです。日本政府や

東電などの隠蔽体質は、大いに叩いてもらっても

構わないのです。事実や真実ですし、海外からの

圧力がないと、そのまま昔からの汚物体質を

引きずり続けるでしょう。

でも、そうでないときには、がっかりしてしまいます。
(特に、中、韓、豪、の歴史に絡むものに多い)

どこの国でも、事実が報道されるようになるのが

一番ですが、まだ時間がかかりそうです。

イギリスは比較的中立的なものの見方を

していて、結構情報ソースとしては信頼しているの

ですが、今の時点としては、

複数国のニュースや情報源を比較して、

共通していることは事実に近い、各国バラバラの

見解や報道がなされている場合は、疑う必要がある。

夫サリーちゃんはトルコのオンライン新聞を読んだり

しますが、アメリカ様的な報道と相いれない報道が

なされている時もあり、それだけでもかなり情報の

フィルター具合が分かります。

情報でも、モラルでも、習慣でも、物事の善悪でも、

世界の国を網羅してみて、その中の共通部分、

最大公約数的なものを取り出してみると、

比較的本質が見えてくるのではないかなあ、と

ぼんやり考えたりします。

簡単に言ってしまうと、数学や物理のように、

国が変わっても、時代が変わっても、不変な、

公式となる核の部分のことです。

でも、人生、数学の公式通り、杓子定規には

進まず、何が起こるか分からない、予測が

つかないからおもしろい、というのもまた真だとは

思いますが。

どこの国に行っても、ぶれない人間になりたい

ものです。多民族国家の中にいると、各国の歴史観や

常識観念を押しつけてくる人が、必ずいたりします。

何が事実で、本質はどこにあるのか、を知っているだけでも、

精神的ストレス度がかなり違います。

なので、いろんな本を読んで勉強したり、一人で

じっくり考える時間を持ちたいものですが、

実際は、暇があれば一時もじっとせず喋り続ける

サリーちゃんのお喋りが止まらず、そんな時間は

持てず。

理想と現実のこの乖離具合は一体・・・?

日本帰省の時は、ちょっとホテルにお籠もりして、

本を読む時間を作りたいなあ、と痛切に思います。
(実家でも、両親や親戚が訪れて絶えず喋り続ける、
 という図が何となく予想がつくので、やっぱりホテルに
 逃避が無難)

ジャンルを問わず、おススメの本があれば

教えてくださいな。

来年は、

「事実、本質、核となる部分を見るよう意識する、

 その他の雑多な部分は極力シンプルに(ついでに生活も)」

叶うかな?がんばろう!

では、今年もお世話になりました。

感謝、感謝です。

来年も、皆様にとって実り多き一年になりますように。

来年も引き続き、よろしくお願いします。

Thank you for your last click of the year!
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