Friday, 31 August 2012

コントですか?

日本と領有権争いをしている、韓国、中国、ロシア、


どれも日本が客観的には正しいのですが、


向こうは力づくで横取りしようとしています。


しかし、このネット社会の中、どこまでウソの理論が


通用しますかね。


証拠はいくらでも出せる日本。


口だけ達者、「お前のものはおれのもの」


とジャイアンを地で行く他国の戦法。


10年前だったら日本は泣き寝入りしていたかも


しれませんが、今はネットで何でも見ることができ、


知ろうと思うことは何でも検索できてしまうので、


日本国民も(ネットしない人は除いて)、世界の人も、


実際のところ、どちらが正しいのかなんて分かっています。


そう言った記事がいくつか出ていたので、ご紹介。



中国版ツイッター「尖閣は日本領土」 企業幹部が実名 根拠に公式地図


【上海=河崎真澄】中国広東省の民間企業幹部が24日、中国版ツイッター「微博」で「1949年から71年まで中国政府は釣魚島(尖閣諸島)を日本の領土と認めていた」と異例の発言をした。日本領有を示す53年1月の中国共産党機関紙、人民日報の記事や、複数の公式地図など根拠を挙げている。微博では中国国内からの感情的な反論に加え、「知識のない大衆が中国共産党に踊らされたことが分かった」などと賛同する見方も広がっている。

 発言をしたのは同省広州の電子サービス企業、広東捷盈電子科技の取締役会副主席との肩書を持つ女性の林凡氏。林氏は微博の運営会社、新浪微博から「実名」の認証を受けており、10万人以上の読者をもつ。

 林氏の資料によると、人民日報は53年1月8日付の紙面に掲載した記事で「琉球群島(沖縄)は台湾の東北に点在し、尖閣諸島や先島諸島、沖縄諸島など7組の島嶼(とうしょ)からなる」と表記していた。中国当局が監修した53年、58年、60年、67年に発行した地図の画像も示したが、その多くが「尖閣群島」「魚釣島」などと表記。日中境界線も明らかに日本領土を示している。

 林氏は冷静に証拠を積み重ねた上で「中国政府はこれでも釣魚島はわれわれの領土だといえるのか」と疑問を投げかけた。中国国内からの反応には、「資料をみて(尖閣諸島が)日本領だったことが明白に分かった」「(当局に)タダで使われて反日デモを行う連中には困る」などと、林氏支持の発言が出ている。

 一方、25、26の両日も、尖閣諸島の問題をめぐる反日デモが、四川省南充や浙江省諸曁、広東省東莞、海南省海口など、地方都市で呼びかけられており、混乱は今後も続きそうだ。




中国人の中でも疑問を呈している人がいるくらい


なので、中国共産党も、どこまでシラを切って尖閣を


中国のものだと言い続けられるか、見ものです。



ロシアと揉めているの北方領土にしても、こんな記事が


ありました。



「北方四島を日本に返すべし」と唱えるロシア人学者

国境と国益(第12回)



 終戦記念日の8月15日を前後し、日本の「領土問題」を巡ってまたしても摩擦が発生している。1つは尖閣諸島への香港活動家の上陸、もう1つは韓国の李明博(イ・ミョンバク)大統領の竹島への上陸・視察である。


 前者は、石原慎太郎都知事が推進する島の東京都購入計画に刺激された面があるが、中国側、韓国側の今回の振る舞いは、相手側の言い分や国民感情をまったく無視した乱暴なもので、問題解決への前進をいささかでも進めるものとはならない。


 実際、中国と韓国の今回の行動は、国際社会の支持を広めるものとはならなかった(筆者は、「世界華人保釣連盟」を名乗る香港や台湾の人士による尖閣諸島への画策を、あえて「国としての動き」と位置づける。この運動が中国政府や一部の共産党幹部たちの暗黙の了解と支持を受けていることを、中国において関係者から確認したからだ)。


 両国が、尖閣諸島や竹島とは関係のない「歴史問題への反省」を持ち出しても、南シナ海等で中国の強引な領土・海洋権益拡大の動きに直面している東南アジア諸国には、「またしても無理押しをしている」としか受け取られない。


 また、日本による国際司法裁判所提訴を招いた李明博大統領の行動は、「提訴を受け入れない」(国際司法裁の本審理は当事国すべてが実施に合意しないと行われない)と韓国政府が表明したとしても、「提訴を受け入れない理由の弁明」が求められることとなり、堂々と国際社会の審判を得ようという日本の姿勢や立場との違いが鮮明となる。


 いすれにしろ、主張の違いがあっても、紛争は平和的解決へ努力することが国連憲章の原則である。中韓両国の一連の姿勢はこれとは相いれないことが国際社会では明白となっている。

「北方四島は一度もロシア領になったことはない」と認める

ひるがえって中韓両国の行動から我々が学ぶべきことの1つとして、紛争にかかわる相手国の論点をよく研究して、事に対処すべきであるということがある。


 領土や国境線を巡る紛争の解決には、自国内の世論も重要な要素である一方、相手国の世論をもある程度納得させる論や措置の構築と提案が重要だ。もしも相手国内に、こちら側の主張に一部でも味方する議論があるとすれば、その論旨をよく研究し、分析すべきである。自分の国で組み立てた議論を相手にぶつけるだけでは、だめなのだ。


 実は北方領土問題を巡って、ロシア(旧ソ連)には、日本側の「四島返還論」を正当なものとして自国の記録資料からあとづける議論が存在した。


 ソ連崩壊前後から軍や外交史料(以前はほとんどが機密解禁されなかった)を精査し、歴史的に見て択捉、国後、色丹、歯舞(群島)の四島を日本に返還すべきだとの論をまとめた学者がいたのである。ソ連科学アカデミー極東研究所が発行する学術誌『極東の諸問題』副編集長を務めたボリス・ニコライェヴィッチ・スラヴィンスキー(1935~2003)である。


 スラヴィンスキーの著作はいくつか邦訳されているが、北方領土問題について、ソ連軍による占領経過の検討をしながら分かりやすく論じられているものに『千島占領 一九四五年夏』(加藤幸廣訳、共同通信社、1993年)がある。


 スラヴィンスキーが議論の前提として第一に確認しているのは、「北方四島(択捉、国後、色丹、歯舞)は、一度もロシア領になったことはなく、日ロ両国間に争いはなかった」ということである。これは、我が国が主張している返還論の論拠でもあるが、ロシアでは過去からこの問題について、次のように全くかみ合わない議論が幅を利かせてきた。


 「多くの歴史文書は、ロシアの移住民がサハリンと千島諸島の最初の発見者であって、18世紀~19世紀のあいだにそれを調査し、開拓した最初のものであったことを、反駁の余地なく証明している。しかし、日本は、極東におけるロシアの弱みにつけこんで、1855年の条約の締結に成功し、この条約にしたがって、サハリンは共同所有と宣言され、千島諸島は分割された」(『第二次世界大戦史 第10巻』ソ連共産党中央委員会附属マルクス・レーニン主義研究所編、川内唯彦訳、弘文堂、1964年)


 「1855年の条約」とは、下田で締結された日露通好条約である。その第2条で両国の国境を得撫(ウルップ)島と択捉島の間に置くとした。以来、それより南西の「北方四島」は日本固有の領土として確認されてきたのだ。


 しかし、旧ソ連の学者(それに今日のロシアにおける多くの論者たち)は、「ヨーロッパ方面で英、仏、伊、それにトルコからの圧力を受け、クリミヤ戦争(1853~56)に直面しているロシアの弱みにつけこんで、日本は南千島(北方四島)の領有権を一方的に主張した」という見解を披歴し、旧ソ連が北方領土を太平洋戦争終結前後に占領し、自国領に編入したことを正当化しているのだ。


 スラヴィンスキーは、こうしたロシアでの大方の議論を「事実に反している」と批判する。1855年の条約締結交渉にあたったロシア全権、プチャーチンあての皇帝ニコライ1世による訓令が、日本との交渉以前に「国境を得撫島と択捉島の間に置く」ことに同意するとされていたからだ。これは、日露関係研究者であるロシア科学アカデミー東洋学研究所所長であるコンスタンチン・サルキソフ(1942~、現山梨学院大学大学院教授)らが発見した歴史的文書だ。



1875年には、日露間に「千島樺太交換条約」が締結され、樺太(サハリン)全体をロシア領とする代わりに、南部千島(北方四島)以外の北部、中部千島も日本領とされた。これで全千島が日本領となった。ここまでの日露間の領土を巡るやりとりは、平和的な相互理解に基づいて行われている。
 スラヴィンスキーは、これら日露関係の原点と言うべき事実を問題解決の前提に置くべきだとしている。
 この論拠に立てば、「全千島諸島を返還すべし」という主張もできなくはない。だが、日本は1951年のサンフランシスコ講和条約で「千島諸島の放棄」を承認してしまっている。それでも、1875年にサハリンと交換された「千島諸島」は、すでに1855年に日本領と認められていた南千島(北方四島)が含まれていなかったので、この部分については日本側の返還請求に根拠があるとするのが、スラヴィンスキーの議論である。明快だ。

「北海道占領」の大国主義的思惑の中で生じた北方四島占領

スラヴィンスキーは前掲著作で、南サハリンおよび、北方四島を含む全千島を占領するに至るソ連軍の行動と、スターリンが率いるソ連指導部の思惑を、詳細にわたる軍事記録文書を含めた歴史的資料で追跡し、その行動の本質的内容を明らかにしている。かいつまんで列記すると、次の通りである。


(1)日本は1945年8月14日に、ポツダム宣言に基づく無条件降伏受け入れを表明した。ポツダム宣言は、「領土不拡大原則」を連合国間で確認した1943年のカイロ宣言の条項を前提にしたものである。それにもかかわらず、米英ソによるヤルタ会談の秘密協議では、「全クリール(千島)列島をソ連に引き渡す」と確認され、さらに対日参戦時にスターリンが米国に対し「北海道の留萌と釧路を結ぶ線の北側をソ連が占領する」と提案した。


(2)米国のトルーマン大統領は、スターリンによる「北海道の北半分占領」提案を拒否し、千島諸島についてもそれをソ連軍が占領するかどうかについて、曖昧にする態度を取るようになった。



(3)結果として、ソ連軍は米軍進駐前に千島諸島全体を占領するために強引な軍事行動を実施し、すでに日本が降伏を表明していたのに、8月18日には千島最北方の占守(シュムシュ)島に砲爆撃の後、強行上陸して戦闘を惹起し、相方に多大の犠牲を出し、さらに9月2日の降伏調印式後も色丹、歯舞への軍事行動を継続した。
 これらのソ連軍の行動は、すでに米英との対立が始まり、戦後の冷戦状況の萌芽が生まれる中、少しでも自国の軍事戦略に優位な地歩を得るためのスターリン政府による大国主義的思惑に基づくものだったのだ。
 いわばこうした「領土拡張主義」政策は、終戦時における無駄な犠牲を余儀なくさせた上、長年にわたる日ロ関係発展の阻害要因を生み出すこととなった。

「北方四島返還こそロシアにとっても実利をもたらす」

8月18日から23日にわたった占守島の攻防戦では、8800名余のソ連軍攻略部隊のうち1567名、約2万名いた日本軍守備隊では1018名の死傷者を出した。これは、ソ連軍部隊にとって8月9日以降に対日作戦に従事した中で最大最悪の損害だった。


 スラヴィンスキーはこう嘆いている。「戦争がすでに事実上終了し、日本の無条件降伏文書が公式に署名される日を指折り数えて待つ状態にあるとき、双方が膨大な人的・物的損害を出す軍事的・戦略的必要性がどこにあったのだろうか」(前掲著書)


 ちょうどソ連が崩壊した後に著作をものしたスラヴィンスキーには、以上の経過の中で無理押しに占領された北方四島を日本に返還してこそ、真の平和的国際関係が形成されるし、冷戦を本当の意味で終結させることができると考えたのだ。


 彼は著作を次のような言葉でまとめている。


 「・・・これは経済、科学技術、文化の分野において露日間に長期にわたる、大規模な協力関係を打ち立てる道を開くものであり、ロシア極東の諸地方および諸州の経済発展を安定化させる上でも重要な要因となるであろう」


 「日本に対するこうしたロシアの外交路線が全世界の好意的な反応をうることは、疑いの余地がない。これによって第二次世界大戦の終止符を打ち、『冷戦』の対決の時代を終わらせ、露日関係に新しいページを開くことができる。これはロシアの権威を高め、アジア・太平洋地域全体に新しい国際秩序を打ち立てる上で重要な貢献をなすものである」(前掲著書)


 「北方四島返還」こそ、ロシアにとっても実利をもたらし、真の権威を高めるものである──こうした議論がロシアにあることは、銘記すべきだ。




中国にも、ロシアにも、現実を直視しようとする人が


いるのは嬉しいことです。


でも、まだ生きている人は、こんな発言して、当局から


危ない目に遭わなければいいのですが。。。



そして、ここ数日の韓国の言動をニュースで読むと、


もう、「あんたらコントしてんのかね?」


という非常に高レベルの発言が満載で、もう怒りを


通り越して、笑ってしまいます。哀れです。


そんな韓国を海外はどう見ているかな?


こちらはアメリカから。





【ワシントン=佐々木類】竹島(韓国名・独島)の領有権問題などをめぐり、野田佳彦首相の親書を送り返した李明博・韓国大統領の異例の対応について、米有識者らは、現実的な経済・安全保障上の損得を考えない偏狭な発想だ-などと批判している。

 米外交問題評議会のスナイダー上級研究員は「李大統領の日本に対する考え方は偏狭だ。限定的な問題を過度に強調することで、韓国の地域的、地球規模の利益を犠牲にした」と論評した。

 竹島をめぐり、米国政府は「特定の立場はとっておらず、話し合いで解決してほしい」(ヌランド国務省報道官)としているが、23日の記者会見でヌランド氏は、「日韓とも強固で貴重な米国の同盟国であり、両国間のいさかいが米国にとって心地よくないことは明白だ」と踏み込んだ。

 米国の東アジア戦略の主眼が、軍事大国化する中国の牽制(けんせい)にあり、日米韓3カ国の協力が不可欠なためだ。財政悪化で国防費の削減圧力が高まる中、米軍を効率的に配置するには、日韓両国との役割分担がより重要になってくるという地政学上の要請も背景にある。

 ワシントンの米韓関係筋は、「李大統領は『独島を守る』と勇ましいが、日本が武力で攻めるとでもいうのか?」と冷ややかだ。




言われてますね・・・。


「李大統領の日本に対する考え方は偏狭だ。限定的な
問題を過度に強調する」


って文言、的確に韓国の性質を分析しています。


そして、さらに笑ったのが、こちらの記事。


韓国は、怒ったり困っったりしてしまうと、


なんと電話を取らないそうです。



「都合が悪いことあると電話に出ない!」 韓国は日本になんと「居留守」まで使う



李明博大統領の竹島不法上陸や、野田佳彦首相の親書返送問題など、日韓関係は悪化の一途をたどっている。
そんな中、「韓国は都合が悪くなると電話に出ない」という事実が明らかになってきた。幼稚すぎる外交姿勢に国内では失笑の嵐が吹き荒れている。

「連絡が付かないことは何度かあった」

2012年8月24日に行われた参議院予算委員会で、自民党の山本一太参議院議員が質問に立った。
山本議員は李大統領の竹島不法上陸について、武藤正敏駐韓大使が抗議しようとしたが韓国側と連絡がつかなかったことを問題視した。「あれだけの大事件があって、駐韓大使が韓国政府に連絡をしたけど連絡が付かない、これは外務大臣のリーダーシップが全くないということでは」と玄葉光一郎外務大臣に詰め寄った。


玄葉大臣はそれに対し、「よく韓国の場合は、都合の悪いことがあるとなかなか先方が電話に出ないとか、連絡が付かないということは、日韓関係の歴史の中で何度かあったと承知しています」と呆れ笑いすら浮かべながら答弁した。


山本議員が「そんな問題意識なんですか?もっと深刻に受け止めるべきでは」と畳み掛けると、「連絡を取ろうとしてもなかなか電話に出ないということがあるんですよ。それは深刻ですよ確かに、それは深刻です、それは、全く深刻なんですよ。現実そういうことなわけですから、それはそれで踏まえた事前の対応を取るしかないということだと思ってます」と答えた。


「電話に出ない これ、韓国の企業も一緒」

12年8月24日付の朝日新聞朝刊でも、「電話に出ない韓国」の話が紹介されている。韓国政府が野田首相の親書を返送する方針と報じられた8月22日、外務省は韓国外交通商相に事実関係を確認するため電話したが、つながらなかったというのだ。


インターネット上ではこうした韓国の姿勢に対し、「電話に出ないって。。。ケンカした彼氏じゃないんだよ。(怒)」「都合の悪いときは電話にも出ないで居留守を決め込む韓国政府、これでも国家?友好とか未来志向とかありえんよ」「相手はもうこっちを敵と見なしてるんだよ、もう相手はこっちの話なんて聞く気ないんだよ、だったら正当に始末つけなきゃいかんだろ」など呆れや怒りの声が上がっている。


また、「会社勤めてたとき、取引先の韓国会社へ英語で電話したときにいきなり切られたことあったな・・・・あれは酷かった」「バツが悪い問題があると電話に出ない これ、韓国の企業も一緒」と、電話に出ないのは韓国政府だけではないという体験談も書き込まれている。




失礼を承知で、大笑いしてしまいました。о(ж>▽<)y ☆


政府レベルで、ふてくされて電話に出ないって、


外交にならないじゃないですか。


もう、国として見ない方がいいです。


というか、相手にするだけ時間の無駄です。


もっと日本に友好的な国はたくさんあるので、


そちらにシフトした方が得策です。


ほんとに、韓国がここまでとは思っていなかった


ので、びっくりです。


韓国に対して怒りをあらわにするのもいいですが、


最善か、できる限り関係を絶って無視し、


さっさと他国といい関係を築いた方が


いいですよー。

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