つい先ほどまで、サリーちゃんのトルコ人友達、
メフメットさんとエアカンさんと一緒に我が家で
デザート、お茶タイムを楽しんでいました。(・∀・)/
サリーちゃんを含め、彼ら全員ドクター、
助教授経験のある(1人はサリーちゃんと同じく
企業へ転身、もう一人は今も現役続行中)お二人
なのでした。
オーストラリアでお付き合いをする時は、大抵カップル単位、
または家族全員がぞろぞろとくっついてくるので、
家族抜きの友人だけが来る、というのは今回が
初めてかも。
家族でワイワイ来ているときは、全く普通の気のいい
お父さん、おじさん(お兄さん??)に見えて
いたのですが、単身で来て、そして博士3人の
顔ぶれが揃うと、やはりなんだか圧巻。
落ち着いた席でまじまじと見ると、
なんだか話し方やしぐさにも知的さがほとばしって、
(1名、サリーちゃんを除く)
「あ、やっぱりお勉強してる人たちなのね」
と初めて思いました(今までどれだけ失礼だったのか・・・)
3人の博士号を持つトルコ出身の男たちがオーストラリアで
集うことは、実はとても珍しいことかも。
私がいると気を遣って、トルコ語でしゃべれないだろうと
思ったので、食事は3人で外でさせて、お茶だけ家で、
という段取りにしたのですが、やっぱり家に来た
途端、全員英語に切り替わっちゃいました。!(´Д`;)
もし私が日本の友達と会って、英語でしゃべらなければ
ならなかったら、それはそれは苦痛で居心地が悪い
に違いないのですが、
なんだか悪いことしたなあ。(・・;)
アメリカ留学時代のお話に花が咲いていたのですが、
(3人とも資源や地質学が絡んでおり、
専攻が微妙にかぶっているのです)
話を聞いていると、どうやら教わった教授が
何も知らないのに教えていて七不思議だった、
しかも、就職する時の推薦状を3人とも誰ひとり
として書いてもらえなかった、という話になっていました。
「アカデミックの世界で、何も知らずに
働けないでしょ?」
と疑問に思ったのですが、
「企業でもほんとはよく分かってないのに
知ってるふりする人っているでしょ?
アカデミックにも、普通にそういう人いるよ。
テキスト見て教えればいいんだから、知らなくても
できるよ。
教授になるには、普通は何十もの論文を書いて、
それを専門雑誌やジャーナルで出版しなければ
いけないけど、カドリ(いじわる教授の名前)は
まったく論文を出してないよ。まあ、分かってないので
書けないだろうけど。確か1つだけ論文書いてたけど、
生涯それだけ。どの学会に出ても、10年以上も
いつも同じ論文を発表してるよ。スライドの色遣い
変えたり、ちょっと話を付けたしたりしてるけど、
内容はいつも同じ。」
と豪愕の発言が飛び出しました。
(3人は失笑しておりましたが)
知らないのはまだいいとして(よくないけど)、自分の
教え子へ推薦状(Referenceと言います)を書いて
あげないとは、どれだけいじわるなのか
(日本ではそういう文化はありませんが、
欧米では、就職や転職するのに、大学で教わった教授や
上司、同僚の推薦状が3通くらいないと、採用プロセスが
進まないのです)。
しかも、その教授、トルコ人。。。
同じ国から来た同胞として、少しでも後輩を助けよう
という気持ちはないものか。
3人が言うには、
「彼は何も分かってないので、生徒が同じように
アメリカの大学に残ってしまうと、自分の無知さが
ばれ、そのうち教え子に自分のポジションを
奪われると思ったから、トルコ人留学生に
対しては、推薦状を1通も書かなかったんだよ」
ということです。
サリーちゃんは、アメリカの大学に就職する推薦状
は書いてもらえなかったけど、アメリカ国外の
オーストラリアだと、なぜか書いてもらえたそうです。
国外追放なら、まあ書いてやってもいい、という
感じなんでしょうか。エアカンさんは、トルコ政府との
約束を守り、素直にトルコの大学に戻って教えた
ので、こちらは推薦状は結局必要なかった。
メフメットさんは、他の教授から推薦状をもらい、
しばらくアメリカの大学で助教授として働いたそうです。
(が、後にそのカドリさんという人は、学部長から
首を言い渡されたそうです。見ている人は、
ちゃんと見ている。成敗されちゃったんですね)
しかし、地元のアメリカ人には普通に推薦状、
書いてあげてたみたい(ゼミ仲間の1人の
アメリカ人は卒業後、スタンフォード大学の
助教授にポンっと就職してしまったそうです。
あ、ちなみに日本人留学生もいたらしく、
Atsushi君というのだそうですが、日本に帰国して
投資銀行に就職し、今では大金持ちになった、
ということです(ノ´▽`)ノ)
アメリカの大学に残り、しばらく助教授として
働いていたメフメットさんのお給料、驚いては
いけません。なんと薄給、56,000ドルだった
そうです。長年勉強し続け、この給料じゃ、
やっとられん、ということで、大学から離れ、
企業に転身しました。どうしてこんなにお給料
低いのでしょうね。私はもっともらっているものと
思っていました。結果、優秀な人は、どんどん
アカデミックな世界から離れ、使い物にならなそうな
人がどんどん昇進して教授になる、という教育現場
の悪循環が起きています。できない教授に教わる
優秀な生徒は悲劇です。
サリーちゃんも、研究者としてオーストラリアの
大学で働き始めた頃は、お給料30,000ドル
くらいだったそうです。少ないですよね・・・。
そして、留学後トルコの大学に戻って教えるという
トルコ政府との約束を反故にしたため、アメリカ、
フランス留学費用、総額400,000ドルの
半分(全額じゃなくてよかった)を返済しなければ
いけない羽目となり、実質生活費は年間
20,000ドルくらいでした。
(トルコの大学で教えれば、留学費用はチャラ、
全部政府持ちなのです。お得な制度ですよね)
ブリスベンのアパートを買って売却した利益で
2年くらいで返済出来たそうですが)
これは、反面教師とさせていただこう。
日本人の私としては、国をまたいでも
あくまで日本や日本人の活躍を応援したいもの
だなあ。
よーし、日本帰省の際は、たっぷり楽しんで、
日本にたっぷりお金を落として行きますよ!
(そっち・・・?)
眠いので、もう寝ます。
(短すぎる決意表明)
ではまたーZZzz....
メフメットさんとエアカンさんと一緒に我が家で
デザート、お茶タイムを楽しんでいました。(・∀・)/
サリーちゃんを含め、彼ら全員ドクター、
助教授経験のある(1人はサリーちゃんと同じく
企業へ転身、もう一人は今も現役続行中)お二人
なのでした。
オーストラリアでお付き合いをする時は、大抵カップル単位、
または家族全員がぞろぞろとくっついてくるので、
家族抜きの友人だけが来る、というのは今回が
初めてかも。
家族でワイワイ来ているときは、全く普通の気のいい
お父さん、おじさん(お兄さん??)に見えて
いたのですが、単身で来て、そして博士3人の
顔ぶれが揃うと、やはりなんだか圧巻。
落ち着いた席でまじまじと見ると、
なんだか話し方やしぐさにも知的さがほとばしって、
(1名、サリーちゃんを除く)
「あ、やっぱりお勉強してる人たちなのね」
と初めて思いました(今までどれだけ失礼だったのか・・・)
3人の博士号を持つトルコ出身の男たちがオーストラリアで
集うことは、実はとても珍しいことかも。
私がいると気を遣って、トルコ語でしゃべれないだろうと
思ったので、食事は3人で外でさせて、お茶だけ家で、
という段取りにしたのですが、やっぱり家に来た
途端、全員英語に切り替わっちゃいました。!(´Д`;)
もし私が日本の友達と会って、英語でしゃべらなければ
ならなかったら、それはそれは苦痛で居心地が悪い
に違いないのですが、
なんだか悪いことしたなあ。(・・;)
アメリカ留学時代のお話に花が咲いていたのですが、
(3人とも資源や地質学が絡んでおり、
専攻が微妙にかぶっているのです)
話を聞いていると、どうやら教わった教授が
何も知らないのに教えていて七不思議だった、
しかも、就職する時の推薦状を3人とも誰ひとり
として書いてもらえなかった、という話になっていました。
「アカデミックの世界で、何も知らずに
働けないでしょ?」
と疑問に思ったのですが、
「企業でもほんとはよく分かってないのに
知ってるふりする人っているでしょ?
アカデミックにも、普通にそういう人いるよ。
テキスト見て教えればいいんだから、知らなくても
できるよ。
教授になるには、普通は何十もの論文を書いて、
それを専門雑誌やジャーナルで出版しなければ
いけないけど、カドリ(いじわる教授の名前)は
まったく論文を出してないよ。まあ、分かってないので
書けないだろうけど。確か1つだけ論文書いてたけど、
生涯それだけ。どの学会に出ても、10年以上も
いつも同じ論文を発表してるよ。スライドの色遣い
変えたり、ちょっと話を付けたしたりしてるけど、
内容はいつも同じ。」
と豪愕の発言が飛び出しました。
(3人は失笑しておりましたが)
知らないのはまだいいとして(よくないけど)、自分の
教え子へ推薦状(Referenceと言います)を書いて
あげないとは、どれだけいじわるなのか
(日本ではそういう文化はありませんが、
欧米では、就職や転職するのに、大学で教わった教授や
上司、同僚の推薦状が3通くらいないと、採用プロセスが
進まないのです)。
しかも、その教授、トルコ人。。。
同じ国から来た同胞として、少しでも後輩を助けよう
という気持ちはないものか。
3人が言うには、
「彼は何も分かってないので、生徒が同じように
アメリカの大学に残ってしまうと、自分の無知さが
ばれ、そのうち教え子に自分のポジションを
奪われると思ったから、トルコ人留学生に
対しては、推薦状を1通も書かなかったんだよ」
ということです。
サリーちゃんは、アメリカの大学に就職する推薦状
は書いてもらえなかったけど、アメリカ国外の
オーストラリアだと、なぜか書いてもらえたそうです。
国外追放なら、まあ書いてやってもいい、という
感じなんでしょうか。エアカンさんは、トルコ政府との
約束を守り、素直にトルコの大学に戻って教えた
ので、こちらは推薦状は結局必要なかった。
メフメットさんは、他の教授から推薦状をもらい、
しばらくアメリカの大学で助教授として働いたそうです。
(が、後にそのカドリさんという人は、学部長から
首を言い渡されたそうです。見ている人は、
ちゃんと見ている。成敗されちゃったんですね)
しかし、地元のアメリカ人には普通に推薦状、
書いてあげてたみたい(ゼミ仲間の1人の
アメリカ人は卒業後、スタンフォード大学の
助教授にポンっと就職してしまったそうです。
あ、ちなみに日本人留学生もいたらしく、
Atsushi君というのだそうですが、日本に帰国して
投資銀行に就職し、今では大金持ちになった、
ということです(ノ´▽`)ノ)
アメリカの大学に残り、しばらく助教授として
働いていたメフメットさんのお給料、驚いては
いけません。なんと薄給、56,000ドルだった
そうです。長年勉強し続け、この給料じゃ、
やっとられん、ということで、大学から離れ、
企業に転身しました。どうしてこんなにお給料
低いのでしょうね。私はもっともらっているものと
思っていました。結果、優秀な人は、どんどん
アカデミックな世界から離れ、使い物にならなそうな
人がどんどん昇進して教授になる、という教育現場
の悪循環が起きています。できない教授に教わる
優秀な生徒は悲劇です。
サリーちゃんも、研究者としてオーストラリアの
大学で働き始めた頃は、お給料30,000ドル
くらいだったそうです。少ないですよね・・・。
そして、留学後トルコの大学に戻って教えるという
トルコ政府との約束を反故にしたため、アメリカ、
フランス留学費用、総額400,000ドルの
半分(全額じゃなくてよかった)を返済しなければ
いけない羽目となり、実質生活費は年間
20,000ドルくらいでした。
(トルコの大学で教えれば、留学費用はチャラ、
全部政府持ちなのです。お得な制度ですよね)
ブリスベンのアパートを買って売却した利益で
2年くらいで返済出来たそうですが)
これは、反面教師とさせていただこう。
日本人の私としては、国をまたいでも
あくまで日本や日本人の活躍を応援したいもの
だなあ。
よーし、日本帰省の際は、たっぷり楽しんで、
日本にたっぷりお金を落として行きますよ!
(そっち・・・?)
眠いので、もう寝ます。
(短すぎる決意表明)
ではまたーZZzz....
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